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坂東彦三郎 (3代目) : ウィキペディア日本語版 | 坂東彦三郎 (3代目)[さんだいめ ばんどう ひこさぶろう]
三代目 坂東彦三郎(さんだいめ ばんどう ひこさぶろう、1754年(宝暦4年) - 1828年4月2日(文政11年2月18日))は、江戸時代中期の歌舞伎役者。屋号ははじめ萬屋、のち音羽屋。俳名に橘子・薪水・楽善。 八代目市村羽左衛門の三男で兄には九代目市村羽左衛門がいる。初代尾上菊五郎門人。 宝暦8年11月 (1758) 頃から市村座の若太夫として出る。翌年3月には同座で市村吉五郎を名乗り子役で舞台に立つ。 明和7年11月 (1770) に三代目坂東彦三郎を襲名し、以後若衆方で活躍。8年後に元服して立役に転じた。文化10年 (1813) には完全に舞台を退き、京都黒谷で剃髪した後江戸に帰り、半草庵楽善と号して本所原庭に隠居して余生を送った。晩年風流に書画・俳諧・茶道を嗜み余生を過ごした。 時代物より世話物を得意とし所作・和事・武道を得意とした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂東彦三郎 (3代目)」の詳細全文を読む
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